戦前のアイドル・明日待子さん(97歳)、今もご健在…当時の思い出を聞く

1:きのこ記者φ ★@\(^o^)/:2017/03/06(月) 23:27:57.72 ID:CAP_USER9.net


かつて、新宿の劇場「ムーラン・ルージュ」で、多くのファンを虜にしたアイドルたちがいた。
彼女たちは、いかに戦時を生き抜いたのか。そして、何を考えたのか。

この3月で97歳になった明日待子さんは、元アイドルだ。
かつて東京・新宿にあった劇場「ムーラン・ルージュ」で、多くのファンを虜にした彼女を人々はこう呼んだ。「まっちゃん」と。
日本が戦争に突き進んだ激動の時代、アイドルとして生きた一人の女性。お元気でいられると聞き、取材を申し込んだ。

会ったのは、浅草の喫茶店だった。真っ白なスーツにショートのボブヘア。
もうすぐ白寿を迎えるとは思えない、可憐なオーラをまとっている。
耳は少し遠く、補聴器が必要だ。それでも語り口はしっかりとしていて、言葉にも覇気がある。
そしてなにより、笑顔がとても、かわいらしい。

「アイドルをしていた時は、本当、楽しかったですよ」
ガムシロップを少し混ぜたレモンスカッシュを、美味しそうに飲みながら。明日さんは、ぽつり、ぽつりと話を始めた。

明日さんは13歳のころ、ムーランの主催者の養女になった。
親元を離れて東京へと移り、釜石にいたころにも増して、芸を学ぶことに力を入れた。
1933(昭和8)年にデビューすると、瞬く間に人気が出た。そのあどけのない見た目から、
広告モデルとしても引っ張りだこになったという。

「初恋の味」のキャッチコピーで売り始めていたカルピスの専属になった。
花王石鹸、キッコーマン醤油、ライオン歯磨き……。さまざまな商品のポスターも飾った。
人気アイドルは、多忙を極めた。朝は稽古、正午に開演、そのあとはポスター撮影。
そして夜の稽古と、「超過密スケジュール」をこなしていたのだとか。

そうして気づけば、いつの間にか、たくさんのファンが付くようになった。
ただ、ファンレターは一切、見せてもらうことはなかったという。
「事務所がね、『ファンレターにはろくなことが書いていない』と言って。行李いっぱいに届いていたものが、
私の手元には届かなかったんです。事務所と家とで、みんな管理されてたの」

「みんな没収しちゃうんです。あとになって、2、3枚だけ見せてもらった。どこどこで待っていますよ、とか、
そういうのが多かったですね」

さらに、ファンとの交流も厳しく制限されていたそうだ。
「ファンの人とは直接お話したいという気持ちはありましたね。それでも、なかなか会うことはないです。
お話しをさせてもらえない。だけど毎日毎日、見える顔はわかりますからね」

「ある日ね、いままで学生服着ていた方が、背広を着ていらっしゃったの。そしてね、ご自分が就職したからって言って、
中村屋のチョコレートの入った箱をくださったの。もちろん、事務所の人が立会いですけれど」

(続く)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170304-00010000-bfj-soci


続きを読む